1月30日(木)私市おどりをたずねて
交野節保存会では、交野節を保存し、後世まで伝えるために交野ヶ原の交野節の無形民俗文化財登録を目指して活動しています。
文化財の登録には、それが文化財であることを立証する資料や文献が必要ですが、音頭という口承の文化は楽譜がなく、録音も乏しいため、文化財としての登録に必要な資料がほとんど残っていないという厳しい状況です。そのため、現存する交野節に関する資料や情報を探し、データを収集し蓄積・整理していっています。
当保存会が発行した冊子でも触れましたが、交野節は昔から「交野節」という名前で呼ばれていたのではなく、交野節が唄われていた当時は、「河内音頭」と呼ばれていました。
しかし、中には、交野節を聞いて「それは昔、江州音頭と呼んでみんな踊っていた」と言われる方もおり、昭和のはじめ~中頃で「河内音頭」「江州音頭」「もとから唄われていた音頭(交野節)」が入り混じり、呼び名自体も混乱状態にあったと思われます。
そのため、現在、地元の方に「河内音頭」「江州音頭」と呼ばれているものが、よくよく聞けば交野節だったり、河内音頭や江州音頭に合わせて河内音頭でも江州音頭でもない踊りが踊られており、その踊りが昔は交野節で踊られていた可能性があります。
このように、交野ヶ原には現在でも辛うじて、わずかながら交野節の息づかいが感じられます。
そのような中、2019年の夏に、「交野タイムズ」にてこのような記事がありました。
私市にまだ交野節が残っているのでは!?という希望をもとに、地元のご縁をたどって、2019年の11月頃、やっと若宮神社の盆踊りで交野節を唄っていた方をご存じの方にお会いすることができ、連絡をつないでいただくことができました。
さっそくごあいさつに伺い、私たちの活動について説明をさせていただきました。
私市の交野節のことについて教えていただき、交野節の踊りも撮影させていただけることになり、私市会館に伺いました。
みなさまに私市おどりを踊っていただきました。
当保存会メンバーの子も加わり、踊りを教えていただきました。
星田地区の踊りにとてもよく似ていて驚くと同時に、感動しました。
最後にみなさまと写真を取らせていただきました。
今回教えていただいた踊りも、「私市地区の交野節の踊り」として、当保存会でも今後踊っていきたいと思います。
大変お世話になり、ありがとうございました。
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